歯科難民の方の手記

初診から2年と半年かかって1人の患者さんがゴールを迎えた。いわゆる歯科難民と言っていいと思う。その方から手記を書いていただいてので、披露したいと思います。


『1956年、臨まれない子として産まれた私は、中学卒業まで、暴力と言葉によるすさまじい虐待の中で育った。

 実母は機嫌が悪いと、理由もなくなぐる、肉がちぎれるほどつねりあげる、スリッパでたたく、竹の棒でたたく、また「おまえなんかいらなかった。出ていけ、死んじゃえ」

それは今の時代なら即、逮捕される程の暴力を受けてきた。

 題が「歯」に関することなので、歯を中心に書けば――。

 まず、歯みがきという習慣は、幼少期に親が教えるしつけのひとつ、と思うが、私は歯ブラシも、はみがきも買ってもらえず、当時小学校で話題になった「バナナ味」「いちご味」のはみがき粉がほしくて、泣いてたのんでも「必要ない、あんたの歯なんてみーんな無くなっちまえ!」といわれたのを覚えている。

 私 は小学校の健康診断の時に、「あごの発育が悪く、歯がはまりきらないので、かなり抜かなくてはならない、またひどい乱ぐい歯で、はぐきの上の方をつきや ぶって歯がはえてきてしまい、女の子だし将来的にも見ばえが悪いので矯正をするように」といわれた。それに気分を害した母親は、「おまえにお金はかけられ ない、私が抜いてやる」と、ペンチを持って追いかけまわされた。

 母 親として台所に立ち、子供に料理を作るということは一切しなかった。お茶さえいれたことがなく、冷蔵庫の中にはいつもコカコーラがあり、それをかすめて飲 むのが唯一のたのしみ。朝食は毎日毎日あんぱんひとつ。牛乳がつくわけでも、やさいや果物がつくわけでもない。月~金までは給食があったので、唯一、私の 今のこの身体の基礎は、小学校の給食でできあがったと確信している。

 夜食は、インスタントラーメン(昭和3040年代は今のように多種多様ではなく、毎日チャルメラか、サッポロ一番のみ。たまーに袋ごとお湯であたためるカレーが出まわったのでたまにそれを食べた(ボンカレーとかいった)

 今思えば本当にひどい食生活の中で、よく58才の今まで生きてきたナアと…

 なので、私は今でもぜったいにラーメンは食べないし、袋をあたためるだけのカレーも食べない。子供にも与えたことはない。

 まあこんな食生活の中で、自分のお金で(祖父母からのお年玉など)買った歯ブラシにお気に入りのハミガキをつけて自分から歯をみがくようになったのは小学校高学年頃だったと思う。

 悪夢の始まりはこのころから…。実母の虐待がだんだんひどくなり、むし歯ができても、歯がへんなところからはえてきても、歯医者には行かせてもらえずに、ひどい状態になり、昼に学校の保健室から両親あてに、歯のことで忠告がいく。それに激怒した母親は私の歯を(永久歯)次々と抜いていった。でも、むし歯でボロボロ、あまり痛くなかったような気がする。毎日なぐられていたから、痛みに対しては耐性があった。

 

 10代にして歯を失った私は、ひきこもった。いじめやからかいの対象になるのがこわかったし、何よりも笑った時に歯がないというショックからどうしていいかわからなかった。

 祖父母のところに逃げこんで、いい先生がいるよ、ということで、渋谷の裏道あたりにある 佐々木先生のところへ連れていってもらった。心ある先生で、私の歯を見るなり絶句して、「かわいそうに、ほとんどの歯がだっかい(? 私にはこう聞こえた)してしまって…。かわいそうに…」 でも、何とかしようね、とはげましてくれて23回通った時、胃ガンで急死されてしまった。

 ここから私の歯科医院めぐりがはじまった。当時インプラントのイの字も聞いたことがなかった。 当面はさし歯にして…ということになっても、根がのこっているためにさし歯にすることもむつかしく、やーっと何軒目かの歯科医院でこの2本だけ根がなんとか使えるということで、さし歯にしてあとは裏側をハリ金で支えて前歯を作った。

 こ のさし歯のおかげで何とか普通の生活に戻り、結婚もしたが、常に頭の中には「私は歯なし、老母のよう、老人のような歯」のことでいっぱい、そうこうしてい るうちに2人の子育て、人を人とも思わぬ夫のドレイとして日々家事に明け暮れ、アルバイトをこなし…ある日、突然さし歯がすべておっこちて、80才のおば あさんの顔になった。ここから本当の私の歯との戦いが始まった。さし歯(2本で他をささえる)にしてから10年以上、どんどん歯ぐきがしぼみ、やせ細っていき、ついにさし歯が全て落ちてしまったのだ。

 当時スイミングプールでインストラクターをしていた私。自慢話になるけど、子供達には人気があった。お年寄りの指導にも定評があり、一生続けていくだろう仕事と思っていた。プールから上がった口の中に歯がなかった。みんなの前で…。今でも想い出したくない。

 こ のことがあってから、うつ病、パニック障害へと、精神の病はどんどん進んでいき、気がつくと、いつもいつも死にたい自分がいた。自殺はいけない、生きたく ても生きられない命もある中で、自らが自らを殺すことほど失礼なことはない。頭ではわかってても、とにかく、この歯のおかけで全ての気力を失った。生きて いく気力さえ…。

 以降、約25年間、私の記憶しているだけで37件 の歯科医院に行った。仕事はすべて止めた。こんな歯で人前には出られない。毎夜いれ歯を全てはずし、洗い、自分の顔を鏡で見ることはできなかったし、何よ りも、決して人前にこの顔をさらすことを恐れた。子供の前でも、主人の前でも、入れ歯であることをひたすら隠し、ひとり毎日泣きつづけた。働いてためたお 金全て、歯医者代に消えた。多くの希望と夢を持ってためてきたお金全てが歯のために消え去った。生きていて何になるんだろう。一生こんな歯で生きていくこ と自体が無理に思えた。

 最初に訪れたA歯科医院でさし歯のブリッジをして、全てが落ちて、B医院に行ったら「なんてひどい治療なんだ! くさっている根にブリッジを作っている。根の治療をしないで、さし歯にしたから、もう全てぬいて総入れ歯にするしかない」と告げられた。 B医師は、本も出版している評判の医師とのこと。電車で片道2時間をかけて行き、5分の治療に3時間待つこともあった。遠方から大勢の患者が来ていた。ただ、根の消毒をして、少しけずって56分で「ではまた次回」。 こんな状態が3年 も続いた。趣味も楽しみも何もなかった。家事と、歯の治療に追われるだけの日々で、私はますます落ち込んでいった。総入れ歯は私には無理だった。作ったは いいけど、ひどい吐き気で入れることができず、外出の時だけ歯がないと困るので、入れたが、いつもははずしていた。主人や子供たちの前では入れたが吐き気 のため10kgも体重が落ちた。そのことを医師に告げると「うちではできない、他に行ってくれ」といわれた。○○大学の教授とかで、本ではエラそうなことを書いていた人だったけど、いつも金持ちの有名な患者にはペコペコしてて、私が3時間待っていても平気でそういう人たちを優先的に先に診ていた。次に行ったCインプラントセンターは、大々的な広告を新聞や、道路にハデにのせている所だった。もう30人くらいのインターンのような医師が「ハーイいらっしゃーい、コンニチワ~」とまるで居酒屋(行ったことはないが、たぶん…)のようなノリのところ。「うちはCTはタダ。このインプラントの本も無料であげちゃいまーす。えーとあなたの歯、うーんひどいけど、だいじょうぶ、ボクらにまっかせてー」。冗談ではなく、本当にこういうところだったので、おそろしくなって無料のCTも受けずに帰ってきた。

 そんなこんなでどこへ行ってもダメ。歯ぐきはどんどんやせてきて、もう絶望の淵にいたときに、たまたま新聞の広告欄で『歯の本』 というのが目にとびこんできた。

 釣部先生が書いている本、早々に購入し、読み、ダメもとで、この人に歯科医を紹介してもらえたら…と、2~3日 悩んだ挙句、出版社ダイナミックセラーズに電話をして、今の私の現状を伝え、釣部先生に手紙を出したいと伝えた。プライバシーに関することなので、住所は 教えてもらえないだろうと思っていたのに「そういう事情なら、きっと相談にのってくれると思いますよ」と快く住所を教えて下さった。

 そして今、私はここにこうして死なずに生きている。37件もの歯科医院を点々とし、もう一生入れ歯も入れられない、途方に暮れていた私にとっては、治るということは信じられなかった。どーせまた途中で投げ出されてしまうのだろうとさえ思っていた。

 また、私にとって、初めての自由診療というのも、なんとなくピンと来なかった。保険がきかないということは、ものすごくお金のかかること、と、納得いくようないかないような、???だった。しかし… 今一番声を大にして言えること、私は約25年間、歯医者に通い続けた。全て保険証を出して、200円、300円のこともあれば、義歯を作るたびに60007000のことも21万円ということもあった。でも…往復3時間もかけて、診察待合室で1~2時間待ちはあたりまえ、5分の治療をして身も心もくたくたになって帰る…15分の治療に1日丸つぶれになる、精神的にももう限界だったからこそ、いつも死にたいとまで思うようになっていった。ところが、生まれて初めて自由診療を経験すると、①まず長時間待つことはない、予約時間通りに開始となる。 ②まるまる1時間とっているので、5分で、ではまた次回、とはならない。てってい的に希望を言い、納得いくまで治してくれる。また、③時間が余った時などは、精神的に辛いこと、グチなどを聞いてもらい、精神科のカウンセリングも受けてもらっているようだ! 何よりも、永く待たされることなく時間通りに1時間みてもらえることを考えたら、私のように特に難しい患者は、自由診療をぜひ勧めたい。

 25年間、ほとんど毎日悩み、泣き暮らし、24時間この醜い歯のことがいつも頭から離れずに、苦しみ、こんなことなら死んだ方がまし、とまで思っていた私が、人前で口をかくさずに話している、まさに奇跡としか思えない。

 

 今 私は新たな難病と向きあい、毎日少しずつ進んでいく病状に不安な日々を送っている。でも、死ぬことばかり考えていた地獄の日から抜け出して、人前で笑顔を 見せられるまでになった今までの苦しかった道のりを思い出すと、この病気もいつか克服してやるんだという気になり、以前のようにメソメソ泣く日は少なく なった。

 経験上、正直に、金もうけ主義の、悪い医者の方が圧倒的に多い(確実に)。90%以上、テキトーに患者をあしらって、テキトーに仕事して、セレブ的に遊ぶ医者が多い。良心的な医者に巡り合えることは、宝くじに当たるくらいむつかしいこと。だって2537人の医師を経て、初めてたったひとり、わたしのこのやっかいな歯を治す為の努力を惜しまない医師に出会えたのだ(本当に、やっと――!

 歯で私のように悩み苦しんでいる人は、必ず良い先生っているものです。ぜったいあきらめないで…といいたい。

 

 中途半端ですが、一応ここで終了。また詳しい質問とかあれば、思い出し思い出しして書きます。

 

 もう一度、かきなおすこと・よみなおすことしません。このまま封をして送ります。ヘンな個所もたくさんあるとは思いますが、そこのところはお許し下さい。

 

2014930

 

 

 

 

 

 

 

 

おわりに…

 今、私がこうして「生きていること」、楳津先生と出会えたこと、その楳津先生を紹介して下さった須藤先生、その須藤先生を紹介して下さった医療ジャーナリストの釣部先生、そして、その釣部先生を紹介して下さったダイナミックセラーズ出版社の方々、心より感謝しております。生きる希望を与えてくださった方々に感謝! 

ゴッドハンドの清原先生にも…

辛い時、励ましてくださった菅原さんにも…』

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以上が手記になります。いかがでしたでしょうか。


多くの様々な歯科医院に受診しても良くならず、失望と歯医者不信をいやというほど経験した方が、新宿三丁目北歯科に期待を込めていらっしゃいます。

担当医としての私の技量の限界、未熟さもあるとは思いますので、日々精進怠ってはいけないと思っています。

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